すでに方向性がずれはじめてます


昔の


2009/2/21

ご無沙汰してます。だいぶ滞ってしまったこの日記ですが、
久々の更新は対談でいきたいとおもいます。
バーディー7話放送の熱がさめやらぬうちに。

バーディー二期 7話のcoosunパートがすごかったので言及してきました

yama の発言 :
いやー、すばらしかったです。かなり僕の見たいアクションそのものでした。
coosun の発言 :
当初のこころざしは、こんなにかっこよくなるはずなかったんですけど
coosun の発言 :
もう、時間内とナルト、カタルシスぶちこんでいくしか
coosun の発言 :
というか、あれだな、時間はあったのだが
coosun の発言 :
やっぱりおもいつかなかったというか
yama の発言 :
それ大事ですよ、僕も同じだった。コンテが大変すぎて時間ないとそうなる
yama の発言 :
あとやっぱり運動神経ってものをちょっと考えてしまった
yama の発言 :
僕の動きがいかに硬いかと
yama の発言 :
バランスの崩し方が、どうもできそうにないなあと思ったり、
coosun の発言 :
いちおう、いつもよりは絵の幅がというか動きの幅がきくようにいろいろ小細工してますよ
yama の発言 :
小細工ですか?
coosun の発言 :
ねらってぶよぶよさせたりとか
yama の発言 :
うーん、まあ根本的な動きの幅の問題なんですよね、そのポーズからそういうアクションにいくか!とか
yama の発言 :
昔から思ってましたけど
yama の発言 :
そういうのは身体感覚から出るような気がして
coosun の発言 :
そういうのは、実際の映像いろいろみて研究ですよ
coosun の発言 :
今回は2回くらいしか席たってないですもん
coosun の発言 :
ナルトのときはすごい体うごかしたけど
yama の発言 :
ああ、まあ、実際に自分でできるかどうかはまた別の問題だと思いますけどね
coosun の発言 :
あれだ、作画はいるまえに運動ですよ
coosun の発言 :
実際にうんどうはしないんですけど
coosun の発言 :
アクションをですね
coosun の発言 :
ロトスコするんです
yama の発言 :
まあ、定番だもんなあ
coosun の発言 :
動ける感覚をね九州
yama の発言 :
スポーツ選手と同じになってしまった!
coosun の発言 :
実際に走るか描くかのちがいなのか
yama の発言 :
まあ、さすがに運動神経がないとかけないというつもりはないんだけど
yama の発言 :
なにかこつをつかむ速度見たいのはあるでしょうね
yama の発言 :
この前スケートいったらおもろかったですもん
yama の発言 :
ほとんど滑れないから、がんばってコツつかもうとして、考えることが作画するときとそっくりで
coosun の発言 :
出来るピキーンっていうのがありますよね運動も
coosun の発言 :
スキーが飛躍的に滑れるようになったときっていうのが
coosun の発言 :
昔あって
coosun の発言 :
コレか!みたいなのね
coosun の発言 :
あれはわかるときもちいい
yama の発言 :
そういう感覚は優れてますよね、沓名さん
yama の発言 :
ソウルの話したときに小指で銃撃つのに過剰に拒否反応しめすのも、そういうことだと思うから
yama の発言 :
あれは、この体制からこの動きはありえないって言う嗅覚につながってる
coosun の発言 :
まぁ、それはあるかもしれないですね
coosun の発言 :
ソウルの作者が射撃経験者だったら、感服ですよ
yama の発言 :
それは、僕も自信のあったことなんですけどね、物理の問題も感覚的に解けたし
yama の発言 :
だからこそ、最初に沓名さんの日記を読んだときに、あ、似てるって思ったし
coosun の発言 :
でも、いろいろあるじゃないですか、でもやっぱり
coosun の発言 :
力学が一番とくいなわけですよ
yama の発言 :
感覚的にわかるのは力学ですよ
yama の発言 :
作用反作用とか
yama の発言 :
たとえば、舟をこぐときどういう風にオールをこいだらより進むか
yama の発言 :
そういうことが沓名さんは得意でしょう?
coosun の発言 :
得意でしたね、しかし、船のオールのこぎ方はわからん
yama の発言 :
おそらく、すぐに掴むと思われます、人より速い速度で
yama の発言 :
運転も得意なはず
coosun の発言 :
運転ははっきりいって得意です
coosun の発言 :
いや、好きというのかな
coosun の発言 :
まぁ、意味は同じか
yama の発言 :
その感覚を「運動神経」という言葉意外で表現したいなあ
yama の発言 :
アニメーターの特に「動き」の才能って、それそのものじゃないかと
yama の発言 :
○○○○○(いわずと知れた天才アニメーター)さんが一番優れてるのも、、、おそらく
coosun の発言 :
そうですね
coosun の発言 :
物理とか理屈とかいろいろ言うけど
coosun の発言 :
まぁ、その部分の話をしたいんですよね
yama の発言 :
動きのテクニックに関してはもう一回洗いなおしたいですよ、僕は。
yama の発言 :
沓名さんのそれはテクニックと呼ぶべきものなのかなと、いうのもありますし
yama の発言 :
○×(天才アニメーター)さんの動きは相当テクニカルだと思うんだけど、、、
yama の発言 :
逆に言うと、○×さんは動きに関しては身体感覚で描いてる部分が薄いんじゃないかなあ、
yama の発言 :
別のものを当てはめてきてる感じはする
yama の発言 :
β(天才アニメーター)さんもまったくない気がするんだ。
yama の発言 :
それはそれで楽しいんだけど
coosun の発言 :
あぁ、ないな、
yama の発言 :
描くものを物質として捉えるか、生物として捉えるかってのが、ポイントかなあ
yama の発言 :
○×(天才アニメーター)さんは、絵に関しては紛れもなく、身体感覚で描いてるし、生物感が強いからなあ
yama の発言 :
■■(天才アニメーター)さんは、絵は物質として書いてるけど、動きは生物的
yama の発言 :
∴∴さんは、どっちだろうなあ
yama の発言 :
バリエはないけど、持ってる感覚はいくつかありそうだ
yama の発言 :
まだまだ、僕の分類だめだわ。もっと多軸的な評価が必要
coosun の発言 :
演算とタイムラインて考えでも斬新だったのだが、新しい軸がでましたね
yama の発言 :
意思的、と現象的で軽く考えてはいたんですけど、どうにもしっくりこなくて
coosun の発言 :
画と動きをつなげた理屈が欲しくて
coosun の発言 :
この軸もっとつめていかないと
yama の発言 :
絵と動きはやっぱ、分けたほうがわかりやすいってのが今の心境だけど、これはすぐかわるし、、、
yama の発言 :
でもたとえば、すべての間接を点だけであらわしたものはやっぱり純粋に動きなわけで
yama の発言 :
あらゆるアニメにそれを仮構すれば、やっぱりその考えで正しいんだかなあ
yama の発言 :
○○○○○さんの身体感覚の優位性って点で示せますよね?
yama の発言 :
時間上の軌道でといってもいいですけど
coosun の発言 :
そうですねぇ、、
yama の発言 :
△△(天才アニメーター)さんは、絵の生物感を損なわないタイプの人だと思うんですよ
yama の発言 :
損ないたくないというか
yama の発言 :
☆☆(若手天才アニメーター)さんもそう。この人は身体感覚ないでしょうが
yama の発言 :
★★(若手天才アニメーター)さんは、、、、
yama の発言 :
超生物感とでも言うべきものがありそうだけど、そこまで執着してないのかな
coosun の発言 :
その時々でいいと思う画を描いているとしか、本人は答えないだろうし・
yama の発言 :
ああ、作すれでも言われたけど、この際本人の言質は無視するしかないですからね
yama の発言 :
あくまで僕個人から見た分類が違和感なくできることを望んでるだけなので
yama の発言 :
ΩΩ(天才アニメーター)さんは、まず絵は死んでるが
yama の発言 :
しかし、動きにはなんか身体感覚に由来する気持ちよさを感じる
yama の発言 :
まあ、でも描く対象がエフェクトか人間かは関係ないかもしれない
yama の発言 :
生物でなくとも生物感ってのはあるかもしれないとか
yama の発言 :
生物感ってのもおかしいのかな
yama の発言 :
内側からうまれる意思、みたいな感じが一番近いんだけど、、、
yama の発言 :
むっずいなー
yama の発言 :
しっくりくるって言えばいいかな
coosun の発言 :
内側からうまれる意思、みたいな感じ
が一番わかりやすいかな
coosun の発言 :
ψψ(天才アニメーター)さんが××××(愛称。天才アニメーター)きらいなのは、それが無いから?
yama の発言 :
好みでないってのもあるとは思うが
yama の発言 :
往々にしてそういうことでしょう
yama の発言 :
多分××××(愛称)が悪いんじゃなくて
yama の発言 :
○○○○○さんが桁違いすぎるのでは
coosun の発言 :
まぁ、そうですよねぇ
coosun の発言 :
ありすぎて、ういてて、嫌いって言うひともいるだろうし
yama の発言 :
ああ、瘴気に当てられるみたいなw
yama の発言 :
わしにはつよすぎる、、、って

個人的にはひねくれもののcoosunがやっとボリュームたっぷりな仕事をしてくれたので、大満足なのです
で、完敗です。大嫉妬なので次、がんばります。



チェック結果
標準体重(現在の体重との差) 62.8 Kg(-0.2 Kg)
美容体重(現在の体重との差) 57.1 Kg(-5.9 Kg)
モデル体重(現在の体重との差) 54.3 Kg(-8.7 Kg)
BMI指数(評価) 22(標準)
基礎代謝量 1367.1 [cal]



2008/10/05

またちょっと作画論めいたものを書いてみる試み。またバカ言ってるくらいのスタンスでひとつ読んでみて下さい。
それと、前々からこういう文章の時アニメーターに敬称がないのは
たとえば歴史の本で織田信長さんっていわないのと同じなので
ゆるしてください。



僕は普段よく、タイムライン系と演算系という作画の分類をしているが
これはおおまかにいって
この絵があるから次の絵はこうなると言う絵のつながりを重視した描き方(演算系)と
この時間ならこの物体はこういう絵になる、という時間軸を重視した描き方(タイムライン系)
という分類であり、二つともその作画をする過程にその差異を見出しているが

早い話、吉成曜がよくやっている気持ちいいところですぱーんと抜いて、溜めるところでぎゅっと溜める作画が演算系で
松本憲生がよくやっている3コマパタパタ芝居(フル三コマと言い換えても良し)がタイムライン系
というのが一番わかりやすいと思う(あくまで一例)

これはこれで、作画を語る際にそれなりに役に立つ分類ではあるが、
どうも全ての作画をこの二つに分けるにはあまりにも大雑把過ぎるのでもう少し詳細に作画を評価する際の基礎になるものを考えてみたい。

その前に、分類するのはあくまで作画のタイプであって
アニメーターそのものをタイプで分類するわけではないことを断っておく必要がある。
普通アニメーターは一つの仕事においても何種類かのリアリズムを複合させて最終的な表現をしているので、
「これでないから、あれだ」と言うような評価をするより、「あれがこれくらいあり、これはこれくらいある」というような、
多軸評価で判断するほうがよりわかりやすいとおもわれる。


まず、僕はリアル系(とそうでないもの)というくくりが、作画を評価するさいに使用されること自体にとても疑問を感じている。
(しかし、「リアル系」といわれるくくりは作画の歴史を論じる際に便利ではあるので、ここでは「所謂リアル系」として、
その旧概念は頻繁に用いることになると思う)
アニメーションが、人々に説得力を持たせているからには、それがどれだけ誇張された作画でもその作画はリアリティをもっていると考えるべきだと思う。
その考えを基本に据えた上で、作画のタイプとして演算系を「アニメ的リアリズム」を追求した作画、
タイムライン系を、「時間的リアリズムを追及した作画」と言い換えてみる。
アニメ的リアリズムとは、整合性のある、気持ちいい絵の連続性をさす。軌道の美しさなども、この類型に当てはめる。
沖浦啓之、井上俊之などの所謂リアル系のアニメーターや、
あるいは吉成曜や山下高明などのケレンミのある作画をするタイプもアニメ的リアリズムを追及したアニメーターの範疇に入る。
と、これらの例を出すより、アニメ的リアリズムはアニメを作る上で当たり前に必要になってくる要素で、
あえて絵の連続性を放棄したアニメーターのほうをあげ連ねたほうが、わかりやすいかもしれない。
この場合、若いうちにこれらの要素を極めたために、あえてそこを放棄して、別のリアリズムを追及するタイプが多い。

時間的リアリズムは少しだけ偏った概念だが主に3,4コマを使った作画の中で、
動きを全て描写するのではなく、3コマごとに絵を拾っていった場合に、潰れてしまう動きをあえて看過することで
、動きそのものよりも、全てに平等な時間軸の存在をつよく感じさせるタイプの作画をさす。
代表的アニメーターに、松本憲生、松田宗一郎、岸田隆宏、湯浅政明など。
あくまでそういう作画をするときもあるということで、
全てにおいて時間的リアリズムを感じさせる作画をしているわけではないことに注意したい(そもそも演出意図によっては成立しない)

これに加えて今回は「空間的リアリズム」「意志的リアリズム(意思想起的リアリズム)」「現象的リアリズム(現象想起的リアリズム)」という概念を導入してみたい。

「空間的リアリズム」は、二次元の中にまるで三次元空間があるかのような錯覚をおこす作画を指す。
板野サーカスなども本質的には空間表現そのものであり、この範疇に入る。
よって、空間的リアリズムにとって、カメラワークは非常に重要で
(作画での)正確なカメラの移動やレンズのシミュレートはそれだけで、空間感覚を補強する。
また松田宗一郎などの物体が手前にくるに伴ってBLからノーマルにOLするような
「物体の移動」を強く感じさせる作画に関しても空間表現と見ることが出来るかもしれない。

空間的リアリズムは時間的リアリズムの対比としてあげただけであり、
今回おもに定義するのは次にあげる二つの項目のほうである。

「意志的リアリズム」と「現象的リアリズム」について

「意志的リアリズム」は、現実に見た、人間や動物などの生物自身の「意志」を想起させる運動、
いいかえれば楽しそうだなあとか、悲しそうだななど情感に訴えてくる作画をさす。
これは、過去に見たなにかの映像を想起させているというより、
自分がそのように動く場合(あるいはそういう動きを見た場合)の意識の流れを想起させて、感情移入させる作画を対象としている。
田辺修によるぼくらのOPのウシロの走りなどがわかりやすい。

「現象的リアリズム」はアニメの中に現実に見た、物体の弾力や粘性など、あらゆる物体の他律運動による物性を想起させる作画、
こういう力が加わったらこう動く、や触ったらこんな感じだろうな等の感覚を想起させる作画をさす。
エフェクト全般もこのカテゴリーに分類される。
中村豊が好んでするやわらかいゴムのような質感などがわかりやすい例。

また近年の大平晋也による作画は人間や動物の芝居であっても意志的というよりは
むしろ現象的であるということができるかもしれない。(八犬伝新章4話などの作画は、この限りではないので、むしろ二つを使い分けることが出来るといったほうがふさわしい)
芝居と言えば真っ先にでてくる大塚伸治にしても個人的にはどちらかというと現象想起的な部分がいくぶんかあり、
意思と現象の狭間にあるように思う。
だがそれだと、生き生きとした(ようにみえる)人間の芝居まで現象的とはこれいかに?と言う疑問が当然わいてくる。
そこで

主観より

 意思的
 芝居的
 現象的

客観より

という構造をつくり意思的と現象的の間に芝居的(演劇的)という概念を加えるともう少しわかりやすくなるかもしれない。
大塚伸治や西尾鉄也の作画は、あまりにも人間(物語内のパーソナリティを抜きにした現実存在としての人間)としてのリアリティが高すぎるため
脚本によって規定されるキャラクターの意思を、各アニメーターが描くキャラクター自体が(言い換えればアニメーターそのものが)凌駕してしまい
「アニメキャラクターを演じている俳優」をアニメで描いている、というようにみえるのだ。
沖浦啓之の作画に関しては、さらに先鋭化し「アニメキャラクターを演じている物体あるいは人形」のようにも見える。

こういった作画は、より客観的な視点を視聴者に要求することになり、とても冷静に作品を観賞させる力をもっている。
これが、昨今の作画の進化の流れとしてもっとも顕著な変化であるように見受けられ、
いまでは所謂「リアル系」の作画のなかではすっかりそれが主流になってきているようだ。

そこからさらに、もう一度意志を描くことを試み、
主観の要素を取り入れようとしているのが近年の田辺修なのではないかと僕は感じている。
田辺修の描くキャラクターに関してはとにかく意識の流れのみを描こうと言うような意気込みが感じられ、
それを成し遂げるためにはアニメ的なテクニカルさなど邪魔だと考えているようにすら感じる。

実際、この意思的、現象的という二つの「想起的」要素を厳密に分解してみるのは難しいことではあるが、
(人によっては、それは同じものだと言うかもしれないし、単に唯物論的な突っ込みも困る。)
たとえば大平晋也と橋本晋治両名のある作画の差異を考えるときに、
この二つの分類はとても重要な意味をもってくるのではないかと考える。
それにしてもあらゆるアニメーターが表現するリアリティが果たして意思を介在しているか、
していないかと言う議論は十分に価値がありそうである。

余談だが、この文章を書くに当たって、松本憲生の芝居をどこに位置付けるかかなり迷った。
芝居的であるような気もするし、意思的であるような気もする。意思と芝居の中間辺りがふさわしいか。
ただ、上に述べたような意味とはなにか別のベクトルで、ひどく客観的な視点を包含しているように感じられる。



ちなみに僕がよくやっているファミコンみたいなドットが目立つエフェクトをゲーム的リアry
以上駄文御免。



2008/9/23

先日、やっとスカイクロラを見てきました。
一番、ハッとしたのは会社のコテージでスイトが服脱いだりしてるシーン、井上俊之さんですね。
鏡の前でメイクしてるところとかも、髪をかき上げる動作だけで一発でわかるので、
僕の中ではすでにやたら目立つアニメーターと言う印象になってきました。
仕事の方向的に、皺の影の入れ方など、一瞬沖浦さんと区別のつかないほどの整合性を持っています。
脱いだ、上着の裏地の影の処理の仕方なんか、思わず天才的だ、と息を呑みました。
パブリカ以降、こういった方向にシフトしてるような気がしますが、
部屋に入ってユウイチが辺りを見回す芝居の意図的な中抜きのしかたはやはり、コイルに参加したゆえかもしれません。

本田雄さんのボウリングシーン、あまりにも前評判を聞きすぎたせいか、あまり強く反応は出来なかったのですが、
整合性より「らしさ」を優先して作画しているのが伝わってきました。1コマを容赦なく入れてくるコマ使いなど、
動きをすべて書ききる姿勢に満ち溢れていて、とてもパワフルな画面でしたね。
キャラの芝居のかわいらしさも群を抜いていましたし、実線+影と色トレスのみの影の配置のしかたがこれまた革新的。
脳が納得する立体感です。やっぱり、絵、なのかな。

ラストのスイトの泣きあたりの作画に関しては、芝居のくどさが過剰すぎのように思えて、仕方なかった。
あれも演出なんでしょうけど、もうちょっとスマートな作画で見たかったかもしれない。

うつのみやさんは、スイトの娘がはしゃぎまわってるところかいてる?
そこだけ足が滑っていたし、動きががちゃついてる印象でしたが、確信もてず。

他にはスイトが発見されて担ぎ込まれるあたりの立体感もすごかったですね。
まさにIG的な硬質さ。西尾さんのやわらかさと一線を画しているので、これもとても印象的。


車の中でのラブシーン、ここもすごく、手の骨ってやつを意識させられる感じです。
先日のソウルイーターの中村豊さんの仕事を思い出しました。

逆に悪い点として、3DCGのモーションのお粗末さをあげておきます。なんとかならなかったのだろうかと思わず頭抱えました。
テクスチャにしろ、空間表現にしろ突き抜けるものがない。
コンテの問題じゃないですよね、これは。
1カットCGの派手な爆発がよかったです。松田さんみたいな感じw

最後に総括として、西尾さんの作画に関して、感じたことを書きます。
今までのIG作品に比べて、キャラクターがちゃんと生きてる人っぽい芝居をしてるなあと思いました。
ロングのモブのパイロットが抱きついてじゃれてる芝居やユウイチがミートパイの感想を言ったあと、
トキノがははっと笑うような芝居の自然さ(このカットが全体の中で抜群に好きかなー)
これは、沖浦さんや黄瀬さんでは、決して作らない雰囲気であって、僕は西尾さんのその部分が大好きです。
この点で、とても押井さんらしくなくて、よかった。(内容は懐かしい押井さんという感じ。いまさら感はあるけど、、)

デザインに関しては、ノエインみたいだ、と思った、かな。時々りょーちもさんの絵みたいにも見えた。
基本的にはああいう影付けだからさっぱりとは見えないけど、テレビにも流用できそうな、フォーマットですね。
今後のIG劇場作品には動きの整合性のみがリアルさの礎だった過去からの脱却を期待してます。
おそらく、業界全体としてはそういう流れがくると思うし、(だいぶ先かもしれんが)
その方がまだエンドユーザーにとって魅力的なコンテンツのはずです。これはさすがに気のせいか
とりあえず、そんな感じ。



2008/9/20

鉄腕バーディーdecode12話見ました
あにやら作画監督が松本さんと仁保さんということで、だいぶ前から期待していて、ついに放送です。
開始一秒であれ、このアニメ作画よくね?と思って
触りたくなるようないい画面がそのままずっと続くというすばらしい回でした。
バーディーが空中とんでるカットとか、鳥とかもうね、、、かっこよすぎで、、、
AパートとBのラストが松本さんの担当なのかな?レイアウトもかっこよかったですね。
そしてラストの衛星からのビーム発射。
なにこれ、確実に実写超えてる、すげー。ここは岸田さんの仕事と推測します。
いやー、作画マニア冥利に尽きますね、幸せでした。



2008/8/7

久しぶりにアニメを見た感想を書きます。
崖の上のポニョ、見てきました。ネタバレいやな人は一応注意

自分的には、意外なほど、あきれるほど、フロイト的なほど、普遍的な萌えアニメ。
やっぱり日アニのラインの絵に宮崎的演出って言うのは最萌えです。
最近萌えアニメがまったく無かったので、喜びもひとしおでした。
冒頭で金魚が死んじゃったとそうすけが泣いてるところでもう精神的には号泣。
一言一言で泣きそうになってました。
どうでもいい台詞を深読みしてしまうのは、作った人からするとダメなオタクの典型なんでしょうけど、
つまらない説明・シーンはすべて排除していく見せ方や話の構造的にも、
最近のセカイ系のSF美少女恋愛もののごとくシンプルで、
宮崎アニメの中で一番、若い萌えオタ受けするのではないか?と思ってしまいました。
意図的なのか不測の事態なのか定かでないとして、
オトコノコはみんなああいうのはすきってことでいいんじゃないかなあ。次はループものか?
自分にとって宮崎アニメはボーイミーツガールの原体験ですし、あんまり普遍性のない意見かもし
れないけれど。
一緒に見に行った人がだいぶ穿っていて、自分が素直に感情移入しすぎていることに愕然としたので、若干不安ではあります。

作画的にはリサがすごく魅力的に書かれていて、近藤さんの思い入れが伝わってくる感じがしました。萌えます。
ジブリはキャラクターを動かすのが巧いなぁ、と終始思ってました。
多分、描いた側もそれ以上の感想を言われたら失敗と考えているでしょう。

宮崎監督の長編アニメを見る切符が確実に減ってきてることをかみ締めつつ、感慨深く、視聴いたしました。
次は、スカイクロラです。ナルトはみに行きません。