知ったかぶり日記です。文体が落ち着かないのは仕様です

昔の





2007/10/03

無皇刃譚、見てきました。
まず僕はかなり昔から安藤真裕の結構熱烈なファンなので、目が曇ってるかもしれないことを前置きしときます。

一言で言うと、膨らんだ期待に十分応えてくれて大変満足です。
愚直なのでバカにする人もいるかもしれないですけど、アニメ映画ってこれでいいんじゃないでしょうか。
アニメでやる意味があるのかなー、とか、思ってしまう作品が昨今多かったので
これほど素直に、アクション(あえて作画という言いまわしでなく)を楽しめるアニメってなかったですよね。
監督がアニメスタイルのイベントや、インタビューでも語っていましたが、
ドラマとアクションが相互に高めあっていくと言う単純だけど実はアニメでほとんどやれていなかったことを、
それだけをやった映画です。
要所要所での殺陣の配置とか、いざやってみると非常に難しいさじ加減を
実にバランスよく仕上げていたのがとても好ましく
作画のよさと映画としての盛り上がりが乖離してなかった時点ですでに、しばらく忘れていた満足感を得られました。
振り返ると獣兵衛忍風帖くらいまでさかのぼってしまいそうな……
一度も早送りしたいと思わなかったのは意外と初めてかもしれないですね。とにかくバランスがよかった。


新しい形を提示するわけでもなく、永劫記憶に残るインパクトがあるわけでもないですが
アニメーターの作品への貢献度が、実にわかりやすくて理想的です。
もうちょっとこういうスタイルの作品が増えていくと、アニメーターブーム、再び起きるかもしれませんね~

各作画陣も、まさしく売り物になる殺陣をひねり出している見事な仕事振りでした。

殺陣でよかったのは冒頭の雨の中の一方的な殺陣と領主と羅狼の一騎打ちですね。
後者は松本さんのところより松本さんぽかった。
松本パートは、馬が飛んで見えました。3kの絵が抜けた印象なの松本さんと中村さんだけでは?

殺陣以外だと砦に向かう雪道の名無しにいいカットが散見
アクション以外は普通なカットが多いので目立ってました。雪の処理が一部奥村正志さんかな

中村豊さんのパートは、こんなに惜しげもなく見ちゃってイインデショウカ。
結構尺あったと思いますが、飽きることは出来ませんでした。残念。
特技系アニメーターとして、さすがに次元の違う仕事ぶり。
こと殺陣に関しては、もう誰もかなわないでしょうね。なにあの悟りきったコマ使い!
一時より絵が抜けてるのがとてもうれしい、ビバップのころに近づいた。

なんの躊躇もなく血どっばー、首ばっさぁーって言うのだけで
ちゃんばら好きにはもうおなかいっぱいなんですけどね、
オーフェンOPを見てとりこになって以来見たかったものがようやく見れたなと、感無量でした。
アニメーター出身の監督として、捻くれもせず偉ぶることなどなく、
アドバンテージを生かしきったものづくりをみしてもらいました。
よかった。よかった。



2007/9/17

らき☆すたの最終回を見ました。ほか見てないけど語ります。
作画監督は堀口悠紀子さん。
現代の中割を使った動きのプリセットがだいたい網羅されてるんじゃないですかね?
省力技法の見本市です。
やり切れてないカットもないし、そういった意味ですさまじい完成度の高さです。

いい機会なので、堀口さんについて感じていたこと。 この人の、本当に怖い部分は、
どんなに手札が増えてもキャラを崩壊させる一線は絶対に越えず
ミーハーなんだけど奥ゆかしいという実にスマートな画面になってるところ。
実際、情熱を抑制しているのか、もともと暴走したい欲求がないのかは定かではないにしろ
”技術の高い人なら持っているだろう悪意”を抑える自制心と暴走などせずとも見せられる抜群の技術。
この時点でもう表現として一段上で、こんなことをやろうと思う人は、根っこが演出家気質なんだと思います。
ミーハーな外見からのイメージから、動きが物足りなく感じる人がいても、これは仕方ない。
間違いなくそのバランスを狙ってるはずです。

これほどまでにスマートな作画が出来る若手は堀口さんを除いてほかにいないでしょう。
(こういう限定的なこと言うとすぐに頭の中に一人二人掠めるけどw)

さらに若手では唯一、沖浦さん的な凄みを感じる人でもあります。
思想や絵ではなく、能力値的に似ている。
唐突に沖浦さんの振り向きを描けちゃう上、灰汁が浮かんでないから
普通に見てる人は気づけないし、僕も出来れば気づきたくない。
あれ、今の振り向きすべてにおいて正しくなかった?錯覚だよね、はは??と信じたくはないわけです
中間がないので、首を傾げるばかりで。
でも当たり前に過ぎているそのカット、とんでもないですよ。
この人は今、京都アニメーションというスタジオにいるんですよねぇ。興味深い。


OPのダンスが本編で来たシーンは、頭を左右に振る芝居が直されてしまっていて、がっかりしました。
形式的に見て一番天才的なカットだと思っていたのに、裏切られた気分です。。。

それとは関係なく、最後にボンボンをほうり投げるところの作画、このカットだけさらにまた卓越して技巧的。
ここまでいくとさすがに木上さんが書いていてほしいんですが、
もし堀口さんだったらもう、本当に脱帽するしかないです。

最近、「思想的な作画」に関してものすごい長文を書きたい
上手い・下手ももはやいろいろな意味を内包しすぎて作画を語るのにふさわしい言葉じゃないし、
あえて下手に描いたすばらしい作画なんていっぱいあるわけだしなぁ。それを読み取る楽しさ。



2007/09/12

ぼくらの22話。
opの感動的な走りがいよいよ本編で、な話数です。
で、そのカットへつながるウシロが家を飛び出してくるカット。
やばい出来ですね。もう、ほとんど見たこともない動き。
何者にもとらわれてないのがびんびん伝わってきて。
やっぱり、この人が表現一番巧いですよ、ていうか別なことやってます。
強烈にあこがれます。

勝手に今年のベストカットってことにしましょう。あれ?前もそんなこと言ったようなw ああ、原画が見たい!きっと恐ろしく危険な絵がry



2007/08/13

すみません引き続き中村豊についてです。
ワンピース 倒せ!海賊ギャンザック
こんなのやってたんですね。
シークしつつぽちぽちやってて、まだ目立つ時期じゃないのかなぁなんて思ってたら
来たー、すげーレベルが違う!!!
エンジェリックレイヤーとまったく同じ展開w
こういうすべての仕事に見所がある人はやっぱりファンがつきますよねぇ
これは正直中村さんの中でも好きな仕事です。といってもあくまで「なんと言うナチュラルな巧さ」という意味でですけど。
ケレン味系の風体はなりを潜めて、アニメのお手本みたいな空間、つめ、絵の巧さで構成された、
いわゆる「巧い人の中期の仕事」ですね
他に中盤ルフィとゾロが海に落ちてもがいてるあたりもうまかったです。こっちは完璧ケレン味系。香川or玉川?

中村さんつながりでほかにshadow skill影技25話なんかも見たんですが、時期的にはビバップと似たようなころのはずだけど、こっちは完全にケレン味系。実写的な煙書いてるのも中村さんかな。
これは松田宗一郎さん(名前出てないけど確実にやっているはず、枡田さんつながりかな)と競演してます。

そんで本題、僕は、中村豊の煙は松田宗一郎にとても近いと思っているんです
jaja馬カルテットにおける中村さんを見ても当事から
どうも吉成曜+松田宗一郎のエフェクトのように感じてしまいます。
ゴウカイザーでその二人のシーンが連続するのでわかるのですが、この二人が混在するのはマニアの証です。しかも超ミーハーですw
アニメ的なかっこいいディティールと濃い動きのエフェクト(金井次郎佐々木正勝の系譜)と実写よりのさっぱりしてあまり動かない面処理なエフェクト(源流不明)は当事から代表的二極だったはずですから。
おそらくどちらの源流にもうつのみやさとるさんはおられますが、それはまた別の話で。

ベタ面に配置する影の形のとり方、動くというより中割で面積が推移する実写的なイメージ
、そして基本的に画面の印象をシンプルにしていくところ、
松田さん的な理念を意図してやろうとしているのが現時点で松本さんよりむしろ中村さんだと。
ドミネーターの雪煙とかわかりやすいかもしれません。
中村さんはたぶんライトなアニメファンにも人気があると思うんですが、
松本さんと同じくその実かなりディープで、相当マニアックなことをやり続けている人だとも思います。
そういうところがたまらなく好きです。
松田さんより一般受けしそうな密度感を加えてるのが、やはりさすがですけど。
松田さんはぜんぜんブレイクしないものなぁwいや、その立ち位置本当に硬派でかっこいいですけど
形式的な価値を見出すため、だんだん表の評価からずれていくよりはやはりどこかでメジャーな快感原則を忘れない人が総合的に一番いいバランスを保てるのかもしれないですね


中村エフェクトが時々食い足りないほど粘りなくぞんざいな動き方をするあたりとかもちゃんと松田さんを狙ってるのかもしれないですね

とにかく、本当にチェックする気の起きる人です。引き続き見れるものがあったら見ていきます。
中村ブームかな?何度目だ。
無皇刃譚のパイロットはずいぶん前に見ました。いいだろー

エフェクトの歴史に関しては有識者に解説してほしいところです。
誰か詳しい人がいらっしゃいましたらご一報ください。



2007/08/05

ダーカーザンブラック18話。
駐車場で轢かれたりするところがなんか気になる。ここらへん影の落ち方もリアルだし。
特に車が走り去って奥の扉からヘイが出て走るところ。すごく生っぽいポーズ。

やっぱあれですね。
リアルタイムでテレビアニメでさらに全体的にレベルが高くない場合じゃないと
わざわざ書こうって気にならないですね

とはいえいろいろ見たので

まずファイナルファンタジーのOVAで、磯さんがやってるのではないかというのがあるけど
これはもうエフェクト作画監督というよりは作画監督なんじゃないのかな。もしくは大量に一原きってるか。
今改めてみると、顔が下膨れ気味で電脳コイルなとこあるしなぁ。
ベストカットはラストあたりの飛行船から女の子がぴょんっと降りてくるカット。
とおもっていやな予感がして沓名設備の日記見たらおなじこと書いてあったわ、だめだこりゃw

エンジェリックレイヤー最終話
これはあんまりチェックしてる人がいなそうな気がするので書きます。
なんで見たかといえば中村豊がいるからなんですが
IG作品の中村さんの印象があんまりよくないので(ゼノギアスしかりドットハックしかり
どうせ5カットくらいあんまり判別できない仕事をしているんだろうなと思って視聴開始。

全体的に殺陣が多くてそのどれもがしっかりとためがあって動作動作がちゃんとかかれてはいるんですけど
違う、これは中村さんじゃない。いやしかしものすごく手を抜いてこういうのを……と思ってみていたら
ちゃんと見せ場のアクションをまとめてやってました。じらしてじらして最後に来る流れは非リアルタイムであれ
非常に興奮します。

ほんま、ええファイトやで、って言った次のカットから明らかに絵の置き方が変わりますね。
電撃出して地面に激突するあたりまででしょうか。
中村さんの作画の中で取り立ててすごいというわけでもないですが、
しばらく中村作画を見てなかったのでかなり興奮しました。
なので、ちょっと中村さんの作画について語ります。

あらゆる作品で中村さんだと判別できる理由のひとつが
この絵は次にこういう絵にしようというのではなく、この時間ここにはこの絵がある、
ということを写像しているだけの絵の置き方。じゃないと考えられないほどスカスカ絵が抜けている。
でもそれは原因と結果が逆で、ある理念を表現するためにそうなっているだけなんだと思います。
普通の殺陣はパンチ、よける、反撃、よけるみたいな一動作を積み重ねていくものなんで、
動作一つ一つで動きが完結してしまっているためよく動いている印象は受けるものの、
一回動くたびに流れが止まるのであまり大きいカタルシスを得ることはできません。
さらに作られた演技、流れであることを見てる側に強く意識させてしまいます。

たいして中村さんの殺陣は、まず動作自体のバリエーションとタイミングの緩急のバリエーションが多い。
相手が技を出すのを悠長に待っている、ということがありません。隙があればもう一回攻撃する
そういったリアルタイムに戦闘を行っているという実感が画面からあふれています。
人間の反応速度を計算に入れてるんでしょうね。早くてもおかしいし、遅くても不自然
上に述べた一動作のみの殺陣が
たん、たん、たん、たん
というリズムに対して中村さんは
たんたたん、たたたた、たん、たたん、た
というような小刻みな動作の応酬になります。これは単に原画が多い、ということではないんです、
格ゲーのコンボみたいなもんですね。流れが途切れずに動き続けば続くほど点数が高い。
実際に殺陣の流れをイメージするとわかるのですが、流れを止めずに動き続けるような流れは、
針の穴を通すようなわずかな隙を縫って構築していかないと、たちまち袋小路に陥ります。
それを無理に断行すると、どこか不自然な動作が混じってしまう。これはもう、作画の能力とも違う能力だと思ってます。

中村さんは多くの動作のバリエーション、どういう動作が可能でどれが不可能か、ということを多く知っているとともに
リズムを掴む能力が高いんだと思います。時々、動きよりむしろリズムを描こうとしているんじゃないかとすら思います。
これはあんまり語られませんが、
音楽的能力は、作画技術の能力に近いと思っています。(ここで論じるのは音符の間隔の話で
すが、実際、コード
や、伴奏の重ね方なんかも対応する作画の能力ってのは自分の中にはバッチリ定義づけてあります。)

もうひとつ、これは松本さんとも共通ですが、効果音の使い方が上手い、と思うんです。絵のつなぎだけ見るとやたら絵が抜けてたり
動作として完結していないように見えても、効果音がつくとむしろその、
描いていない(絵が抜けている)部分が動きの早さや小刻みさを巧みに演出していたりするんです。
効果音をつけるのはアニメーターの仕事ではありませんが、
やはりこの二人の仕事を見ていると効果音を生かする絵の置き方は存在するように思えます。
シート上にどのタイミングで音をつけるのかというのは記述してあるでしょうし、そういった演出を意図してやっているのは確かでしょう。
描いてないのに描いてあるように見える。これが真理ですよね。
こういう人たちの仕事を見るとなんか、ずるいとさえ思ってしまいます。
「そうか、その動きは描かなくても動いて見えるのか」と。

そして中村さんの最大の特徴はミクロなコントロールよりもマクロなコントロールをより強く意識してるところ。
動作内よりカット内、カット内よりシーン内のリズムをコントロールしようという意思を強くかんじます。

僕自身も、どうしても一カット内ですべてを完結させようとしてしまうところがあるんです。作画を見るときも木ばかりに注目してしまいます。
でも実際は、最大のカタルシスを得られるのはもっとマクロ的視点に立たないといけない。
このカットは抑えて、このカットは動かす、そういったレベルでリズムを作っていかないといけない。
これは、ランダムの話にもつながるのですが、概念として定義するフレームを広げると、
局所的にはひどくエントロピーの低いカットや動作が生まれるんですよ。
この偏りに非常な快感を感じるんです。
カット内よりフレームを広げてシーン内、その次は作品内、
その次は個人の制作するすべての作品内、ということになります。
(ちょっと脱線しますがこの仕事はだめだったけど次の仕事はよかったとか、
そういうメタ的なリズムすら演出すること、作画では非常に難しいでしょうけど、
そこまでフレームを広げてリズムを演出できる人がいたら、
それはとてもすごいことだとおもいます。
まずはそういう評価ができるだけ、受け手が円熟しないといけませんが。)

マクロ的コントロールの存在を気づかせてくれたのは自分にとっては安藤真裕さんです
クレヨンしんちゃんのカットの割り方とか動きのポイントで点を取って全体の流れとしてみると、
すごくきれいな偏りになっていると思います。
カット尻で5フレームとめて次のカットは1コマで始まるとかそういったコントロールが抜群に上手い。
こういうセンスを持っている人はいずれ、演出家になっていくと思われますが、
本質的なコントロールをするならやっぱ自分で作画までやんないとだめです。
これは僕の偏執的な部分かな。

中村さんと安藤さんの作画は、動作内で見るとまったく違うものですがカット内、シーン内、とフレームを広げていくと、ものすごく似たことをやっていると思っています。
カット内で時々5コマ止めとかやるのは金田さん的なというよりどちらかというと
安藤さんのマクロ的コントロールに影響を受けたものではないかとひそかに思っています。

うっわ、ひどい長文、、、 ああ、はやく中村作画をテレビで見たいわ!



2007/07/15

なんか久しぶりに日記書く気がするけど実はそんなでもない。忙しい毎日。

グレンラガン15話
別のアニメみたいで超びっくり。色と美術とすしおさんのパーフェクトな作監ぶりに感動しました。
山下高明と西田達三の血が確実に入ってきているのを感じます。
俯瞰のヨーコの処理が、非常にらしい感じがしました。頭が大きくなる。
広角感と同時に線の細さが強調されてます、理屈つけてやってるわけじゃないでしょうけどね。
初見で気になったのはニアが飛び降りてコクピットに乗るあたり、後で平松さんと判明、うーんすごい。

そんで電脳コイル10話、平松さんの演出
カット割りについて考えていたところに偶然見たので、いい手本だなぁと思いつつ、みました。
最後のほうの、食事、お風呂、ベッドの上、という、テンポのいい流れがこれも別のアニメみたく見える。さわやかでいいですね。
ここら辺の原画担当者が気になります。山下祐さんか、平松さん自身の原画のような気がするけど……

DarkerThanBlackの新しいOP
かっけー、かっけー、と思いつつ何度も見ていたらコンテ古橋さんかー。これもよい刺激になりました。
ヘイのアクション近辺は高橋しんやさんかな?
ワイヤーで滑空しているところもいいですね。
たまには、素直にすげー、とか、かっこいー、とか言ってみるわけです。初心にかえって。



2007/06/30

グレンラガン4話の沓名健一さんの仕事はもっと語られるべきだと思う。
煙一つ取っても一人のアニメーターが二十年くらいかけてする変化を一息にしてる。
これ普段煙について考えている人が見たら絶対面白いはずです。

一番最初のカットのこなれていない感じのフォルムが、僕は非常に好きです。
巧いアニメーターの昔の仕事を追っていくと、 洗練はされてないけど基本的な巧さの光る仕事 と 個性的ではないけど精度の高い模倣ができている仕事
というのをよく見かけます。
僕はそういう仕事が大好きで、昔から《まず》そんな作画ができるように目指してきました。
しかし、いまだそこにも到達できない僕を尻目にそれらを早々に通過し
洗練されたエフェクトから紛れもない自分のエフェクトにまで到達しているというのは。
成長が早すぎる。
あとメカの口パク。他話数含めても一番巧いです。
というか、それにこだわっている人があんまりいないのかもしれませんけどw

明日の14話は、一周して沓名さんの色で比較的統一されています。
そしてシーンでカットを持ったときにやはり演出力の高さを感じるんですよね。
そこだけ空気が変わるという、凄腕(暴走)アニメーターとしての得がたい資質を持っていると思います。
僕の好きなアニメーターはやはり例外なくそういう人ですし、最近は作画というよりむしろ各人の演出がすきなのかなと思っていたりします。
20代前半でここまでいってしまった人が今後どうなっていくのか非常に楽しみです。
個人的にはぜひとも俗世とは関係のない方向に行って頂きたいw

すでに身内みたいなもんなのであんまりこういった持ち上げ方をするのは憚れるんですけど、
なんかあまりにも語られていないのでたまらず書きました。
本人が見てたら気持ち悪いだろうからスルー推奨でw
ホントは放送当事にかきたかったんだけど……
沓名さんが19才だった時と本当に変わりませんね。追いつけません。



2007/06/22

今日から一ヶ月間でやった仕事がいろいろ放送されます。
どれもほぼ初原画なぺーぺー仕事ですが、それゆえ思い出深いですね。
痛感したり感謝したり反省したり。
思考したり志向したり試行したり。
余裕もなくひたすらgifの感覚を紙の上に再現した初原画から、
ずいぶん奇をてらったりする余裕も出てきちゃいましてよくないですね。

これで多分10代最後かな?
すさまじい(年関係ない本当にトップレベルの)力量の人がたくさんいる世代に突入してしまいます。
僕はわるい先輩の影響でたぶんマニアックな方向に行ってしまうでしょう、かなしいです。



山下高明さんは神出鬼没でよく仕事してるなぁと唐突に思いました。



2007/06/09

電脳コイルがやっと語りたくなるくらいのクオリティーに落ち着いてきました。
今回くらいまでいってくれれば井上俊之さんわかりそう。
バスが爆発して放り投げられてべちゃっと地面に転がるところ、あたりが。っぽい。
炎は完全にbloodと同じ方法論。磯さんの一原か?
あるいは口頭で理屈を説明されてほかの人が書いた可能性もある。
歩き走り振り向きはもう、毎回きわまってしまっているのでどうしても
ミーハーな方向に行かないと評価しづらいところがあります。

ただこの面子でも磯さん自らパートもって原画やったらまったく別次元の巧さを見せてくれることでしょう。
全話とおして何シーンかそういうところがあったらうれしいんですが。



2007/5/21

ぼくらの7話放送してますね、
まさか、(多分夏目さんの)冷蔵庫前からの一連の渾身の作画がカットとは……
悲しすぎますよね一番枚数いっていたらしいのに。まぁそりゃむりかw

その直後のシーンの公舎内でチズが先生に向かって手前に走ってくるカットが一番お気に入りです。
弾むようなタイミングだけど緩慢じゃなくてきちんとポイントを作っている感じ
あまりきっちりとしすぎていないところがより動きの魅力を引き立てていると思います。
やられた感が強かったです。

あとお弁当渡すところの引きのカットと校門でチズがぴょんと跳ねるところも好きです。

まーもちろんラスト近辺の5コマベタでの芝居も感動に近い爆笑が生まれましたけどね。
これって単にハッタリ系無茶な作画をしたってだけじゃなくて、真似しようとしてもできない高い能力を感じるんですよね
4,5でもゆっくりしたうごきや単調な動きなら別に珍しくないですが、あせっているような芝居をタイミングを極端に誇張しないでしかも全原画で表現することは、すごく難しいことです。
でも灰羽連盟やオコジョさんなんかの松本さんの動きであっても「かくかくしてる」と叩かれやすいのは、
やっぱりそこに価値を見出す素地がないからでしょうねぇ。眼力というよりは価値観の違い。
局所的な注視をしていてはその意味がわかりづらい。それは止め絵を見ていることではなくこの絵とその絵のつながりを見ている人にも言えること。
その意味を把握するにはカット内にどう絵が分布しているのか、破片の分布に気持ちよさを見出すようにタイムライン上の芝居断片を配置するそのセンスを見なくちゃいけない。
タイムライン系の動きというべきですかね、それに対して執着を持っている人はやはり異端的な位置にあると思うので、(「ぬるっとした」という演算系に代表される擬音は一番わかりやすい快感の発生源なんで)その立ち位置が非常に「上品」な気がしてあこがれています。
中抜き作画は(誇張した中抜きと誇張少ない中抜きはもうはっきり分けたほうがわかりやすい)やっぱり最近の「流行」なんでしょうw

この手のコマ使い(というより本質は演技プランにおいて何に執着するかというところだと思いますが)僕がまねしてもおそらく何の演技をしてるのかわからなくなるでしょう。
演技を発想する段階でこの芝居は5コマで表現できるとわかっているところが、作業領域の広さなくしてはありえない。
メモリ4Gだぜーみたいな。作画はコマがあがるにつれて詰め将棋みたいな世界になりますからね。
そうなると送り書きじゃだめー、どうしたらメモリ増設できるのかな。
CPUパワーは経験つんであがってきてる実感あるんですけど、主観としてだんだん辛くなってくるんですよね、タイムライン系の動きが僕にはまったくできない。
電脳コイルでの本田さんの仕事は、双方を高いレベルで両立させているところが非常に驚きました。

竹内さんのところはさすがな巧さというかやはり腕を二枚で振るところがそれだけで頭に残ってしまうんですよね。
印象度含めやっぱり桁違いかな。これの打ち上げで竹内さんに会えたのが個人的にいい思い出です。

それしてもかた、かく、ぱた、ぱか、ぬる、ぬめとか作画を評す言葉はなぜこうも擬音に支配されてしまったのかw


2005/05/20

ビックリマンに西田さんやら山下さんやら森さんやら
テンション最高潮ですよ。
ただ、ガイキングのときはボルテージマックス→中村豊登場→発狂
の流れだったんで、それをいつかまた見たいですね。なぜか東映はアニメは興奮する



2007/4/28
電脳コイルのOPがyoutubeに流れててみていたとき、
男の子が階段を上るカットの最後の絵だけ不自然だなぁ、と思ってたら、
今日のPVのOPではばっちり修正されていたw
妥協を許さぬ厳しい製作体制がうかがえますよねぇ



2007/04/18
エマ第二幕の二話の一部がやばい。
女性が抑えられて暴れるカットはもはや、芝居、タイミングにかんしてこれ以上のものは思いつくことすらできない。
ぶっちゃけ個人的に今年最強のカットってことにしたいぐらいです。まだ早いのは重々承知で。それほど巧い。
まさしく空いた口がふさがらない状態になりました。
ドアから出てきて左右を見渡す芝居も、な、なんてメイドらしい動きなんだ!とメイドを知りもしないのに思ってしまうほど。
しかも誰が描いたのかわからない。なんなんじゃこりゃーといいたいです。


あと、遅ればせながら「アニメーターになりました」宣言をしておきます。
この半年でたくさん感動がありました。
でもただの作画オタクなのはずっと変わらんでしょう。ひとつの区切りではありますが、
これからも相も変わらず探求を続けます



2007/04/11

となりの山田君を見た記念に、松本さんの3コマパタパタ芝居を意外にも始めて模写してみました。
今まで自分で作画していて、だれだれっぽい作画というのがあるイメージから偶発的に出現するケースというのは多々ありましたが、松本さんの芝居感だけは一度たりとてでたことはなかった。
そのわけが、少しだけわかりました。たぶんに「巧くないと」出ないんだと思います
ひどい結論ですね。
たいてい目立つことをやっているアニメーターというのは自己感覚から生まれる動きの癖があります。
それがあるからその人だとわかる、逆に言えばその絵の並べ方をしてしまえば出来上がる動きの印象。

簡単に言えば、この絵の後にこの絵が来るというお約束のようなもの、
これを動きの最小単位として仮にプリセットと呼びます。
大概の場合その人の作画であると見分けられる理由がこのプリセットが存在するおかげであり、
ある人のエッセンスを取り入れたいと思うときに意識するのもまたこれだと思います。
しかし、松本さんにはそれがない。松本作画における動きの最小単位は常に、一枚の絵です。
その絵をどのようにつなぐかということだけ。芝居全体が常にひとかたまりなんです。
(松本さんを例に出していますがプリセットを持たないアニメーターはほかにもいます。念のため

プリセットは作画する身にとっての安全策でもあります。
ある並べ方を守れば最低限の動きの魅力を確保できるという安心感、
数多くのプリセットを先達のアニメーターから抽出し続けてきた人はその誘惑からは逃れられないと思います

言語化して例を挙げればきりがないですが、
円軌道慣性運動二枚首振り飛躍直後の中割余韻、
創出した本人ならそれでいいんですけど問題は二次創出者。サンプリング世代。僕とか。
とりあえず最小単位はキープして、
それをどういう順序で配置するかというのも創作ですが(文学理論音楽理論においても、しかり。過去のデータベースに上手に干渉する能力が広義的にいって創作能力であるというのもおかしな話ですが
いくら効率的でもいずれ飽きてくるというのは防ぎようがないわけです。

そこから脱するには慣れ親しんだ動きのよさを唾棄して
再構築しなくてはならない。
しかもそれを毎回行うなんて動きを作ったことがある人ならどんだけ膨大なメモリがいるかわかるはずです。
さらに、プリセットを持たないアニメーターは本来判別しづらいはずなんです
だのに、なぜ松本さんの芝居はあんなに目立つのか、それは単に巧いから、という結論に達したわけです。
パターンに頼らず、ただどこが遅くてどこが早いのか1フレーム単位でのタイミングのコントロールを突き詰めていった作画が近年の松本さんの3コマ全原画芝居である、と。
絵でもプリセットでなく、ただ純粋にタイミング。これが実は一番美しく難しいことだと思います。
だからぶっちゃけ模写しようと意味がない。なぜなら模写で抽出できるのは法則性=プリセットのみだから。
端的にいって偶然松本さんっぽくなることは非常に低い確率でしょう。
実際は松本さんの絵ははかなり独特なのでそれで見分けている人がほとんどだと思いますが
本当のマニアならアニメーター個人が持つ演技の質と時間感覚で見抜いてほしいものです。
そして僕もそれだけでそれの人だとわかるほどの時間感覚を持ちたいです


らき☆すたのOP
一回目でいやな予感がし、二回目で鳥肌がたち、三回目以降は洗脳されるがまま繰り返し再生していました。
なんかアンバランスで拙いところが逆に気になって何度も見てしまう、そんなOPでした。

京都アニメーションの特徴はキャラに動いてもらうのではなく徹底的に繰る、ところかもしれません。
表情を固定して福笑いのように各部位の回転と位置移動で芝居させるのも特徴ですね。
僕の周りでこれらの作画が嫌いな人が多いのは、生々しい作画を目指している人が多いことと、上で述べたような1フレームへのこだわりがあまり感じられない、力押しのタイミング制御であるところが当たると思います。
ちなみに僕は京アニの作画は評価していますし、中毒性すら持っていると実感しています。
此度の出来事でさらに考えを改めました。
生々しくないから、力押しだからこそ感じられる快感が確かに存在するようです。

ぼくらのOP
これまた対極、隙がなくて正統派なOPですね。好きですヘビーローテです。
諸般の事情で担当パートをほぼ全部知ってるのですが、ま、無粋なのでやめましょう。
マキが驚いてカメラ回り込むところの横に近い絵からぱかっと横顔になる瞬間が気持ちよすぎる。両肩がかたっとおちるのもいい。巧いですね。
さらりと過ぎていきますが冒頭のぴょこっと跳ねる動きも非常に巧い。
ラジオ体操とキリエが振り向くところも地力を感じさせる個人的好みの作画。
監督のブログで公言されていた田辺さんの走り、時かけのりょーちも走りに似ていると思った人ほかにもいませんか?
実写よりな表現。いやー、恐ろしい。悔しい。くやしい……。がんばろう。

でもやっぱり、らき☆すたのOPの方が見てる頻度が高い気がします。なぜだろう
単に萌えてるとかとはちょっと違うきがするなぁ。やっぱり電波ソングの中毒性かなぁ。京アニ恐るべしです。

カリオストロの城を作画的視点で鑑賞。こんなに作画よかったのか!影少ないし、、、
最初のほうのがけにぶら下がっているときのクラリスが暴れている作画がすばらしく巧い。
これと、ルパンが撃たれて屋根の上から滑り落ちるところ、クラリスが覆いかぶさって止めるところのなびき方が完全に究極的巧さ。
いったいどうなってるんでしょうねぇ、その後の宮崎アニメでこんないい芝居は観た記憶がありません


関係ない話ですけど最近は、すげぇぜcoosunすげぇぜりょーちもってなんかちょくちょく思います。
いやいや絵を描き始めたずっと昔からそうだったなぁ。感謝感謝。



2007/04/05

春の新番がいろいろと始まっていますね。
とりあえず今のところはギガンティックフォース。
巧いですねー、というか作画マニアに巧いといわせるためのカットだけで構成されているアニメです。つまりあざとさの極地なのも間違いないでしょう。
作画の快感を全面に押し出しているのをかみちゅのときよりもつよく感じます。
基本的に竹内哲也さんの重心移動や残しの入れ方が支配しているような画面といえます。

薮野さんがここまで竹内さんそっくりの作画をするようになるとは正直言って意外です。
名前ありませんでしたが、冒頭で主人公がかわいいとつぶやいて口をふさぐカットは間違いなく竹内さん本人の原画でしょう。竹内さん自身は影をこってりつける人なんだと再確認しました。
あとオペレーターっぽい子の芝居(特に広角レンズで振り向くところ)薮野さん自身の原画に見えます。
目の表現も好きですね、ハイライト、影少なくてなまめかしくいいデザインだと思います。
ただあのほっぺの丸と綴じ目とほほをふくらませる芝居は、何度見てもあざとすぎると思いますw

あと、キスダム、製作状況やばそうですけど数カット巧いカットがあるのがなんか面白かったですね。

関係ない話。
物理法則を脳内でエミュレートする場合、パラメータの数がバーストする瞬間があるんだと思う。
それが映像が見えるとか、感覚で描くとかいうことなのかな
僕が脳を赤熱させて導き出す作業と地続きとは思えない爆発的な計算力に惹かれているんですね結局は
マッチ箱を振って中の本数を当てるとか百年後の今日が何曜日か当てるとか、そういうの。
リアルに存在する超能力、それに近いものが数少ないアニメーターには備わってると思うんです。



2007/03/01

磯光雄が×で中村豊が+なんだなあと何となく思った。
空間に対する物体の座標の認識が単に22、3度違うだけともいえるかも。
垂直と平行そのものである+の連なりは理路整然とするから
メカの構造には適応しやすいけどこれを自然物に適応しようと言う発想はやはり新しかった。
清潔感のあるエフェクトだとおもいます。

理論で考えて描くほど形が四角くなる傾向がありますよね
ダイヤかスペードかって話もあったけど(僕はスペードなんですが)丸い方がやはり好きかなあ。
頭部の当たりの取り方とかは丸から四角になりました。
某巧いアニメーターも四角く描いてたのでちょっと嬉しかったりします。



2007/02/26

ローソン、アサヒ旨茶、どれどれの唄
と田辺修さんが演出を手がけているジブリの三つのCMを見ました
どれも本当の巧さを見せ付けられる逸品ぞろいですが
個人的に旨茶のが大ヒット。
まず女性がペットボトルもって走っているところを車の中から見るカット。
こんなのは、こんなものは描けません。到底追いつけそうにもありません。
なんなんですか、その脇の開きは。天才ですか。
ええそうですよ、走っている上下動で力が体に伝わるのなんて誰でもやってますよ。
僕だって時間かければできるでしょう、全身が連動して動く不気味な動きが!
僕だって別に体に伝わる力が描きたいわけではないんです、走った結果体が揺れるってやつをやりたいんですよ!
しかし気がつけば慣性をひたすら演算している自分に愕然とします。本来の目的を忘れているんです。
でもこれは違うんですよ。軽くてまったくいやみがない。 どうやらこの手の作画は次の絵を演算する描き方では出きないようです。


続いて小突かれて体をそらせる仕草。最高に萌えですよね!!タイミングもやばすぎますよね!!
のけぞった後前のめりになる瞬間が、中なし、これです。これがやりたい!そう思って二年ぐらいたつ。
ミクロな目で見ているところが間違いなんだろうなぁ。多分このキレはこの二枚が中なしだからじゃなくてその二枚を包み込む他のコマによって描かれている。
アニメ作り立てのころ早い動きを描くとき1コマにしても遅く感じたのを思い出す。
みよ、松本さんが描く3コマはあんなにキレがある。
見せたい速さを抱擁する遅さ。多分それがタイミングの表現で一番大事だと思うし、紛れもない目標です。

二本目の会社のやつもすごい。お茶を買ってきて机に寄りかかるカット、リアルです。
なんか気になったのがお茶を買いに走るところの背景動画で木がエフェクトしてるんですが、
大平さんみたいな推移の仕方だ。誰のエフェクトなのか気になります。
田辺さん自身の作画だとしたらやはりエフェクチオも巧いんだろうなと思います。


で、あんまり共感してもらえない話、やっぱ磯光雄さんと田辺修さんの中の抜き方は時々似てる。
正確に言うと田辺さんのは磯さんより限定された場所で使う中なしではあるけど。
磯さんは中がないと気持ちいいところを抜くのに対し、
田辺さんは実際に中がないところを抜いているような感じ。
会社のやつのラストカットで重なった紙コップを手で落とすカット、
ここなんて磯光雄だといわれれば信じてしまいますよ。ていうか僕の中でこのタイミングは磯タイミングなんですがね。
うーんていうか、似てるとかいうより巧さリアルさの
究極的かつオーソドックスな部分を二人ともがもってるってことでいいのかもしれない。
とにかく田辺さんは動画を入れなければ入れないほど僕は好きです。

と、ここまでしゃべっておいてこのCM田辺さんは作画にかかわってないとか判明したりするんだろうなぁ。まぁいいです、その作画した人がすごいってことでwラクガキ王国も安藤さんだったしなぁ。


予断ですが八犬伝新章で田辺パートがひとつもわからなかったのは地獄でした。
動画入ってなけりゃあわかるさ!とか強弁。



2007/02/16
八犬伝新章をはじめてみました。
いやぁ~、ちょっと何度も見ないとそうやすやすと
日記に書ける代物ではございません。ちょっと保留します。

本題はナルト疾風伝OPです。 とりたてて、テンション上がりまくり作画があるわけではないんですけど
さすがに堅実に超絶にうまい鈴木さん。
こんなの一人でさらっとやってしまうんですか。
まったくおかしいとしか言いようがありません。
鎖持った女の子の中飛ばし気味のアクションが一番好きです。ああいうのは僕イメージできません。
三人が走ってるカットは背景に鉛筆っぽいタッチが入ってるのがかっこいいです。
これまた鈴木さんが一人で描いたエンディングを思い出します。
砂のエフェクトを線で見たかった……
ナルトが親指突き出してるところはなぜか爆笑してしまいました。

関係ないけど中盤の叫んでるナルトでまほろの吉成パート思い出した人いません?タイミングにけれんみはないけれど



2007/01/15

かっとばせドリーマーズの磯さんのパートををみました(といっても人からもらったものなのですけど。感謝×∞。ほんとうにありがたい。

まずバッティングの作画。海きこのテニスでもそうでしたけど ボールに当たる直前までをやや過剰なくらいにため、中なしで振りぬく、これが特に目に付く。
これは明らかに磯さんのケレン味の部分。
こういう言葉で説明できない快感のメカニズムに到達する回路はちょっと想像しがたいです。
タイミングのポイントを増やすためにほぼ同トレスな
原画を位置ずらして入れる技も散見されます。
そして走りをフォローしつつボールを拾って投げる、というカット。
一歩目から九歩目まで、走りのタイミングが全て違う。
もちろん密度を上げたいからしっちゃかめっちゃかにタイミングをいじるんじゃなく、
遅くなるべきところを遅くし、早くなるべきところを早くする。
これが、本当にむずかしいんです。七歩目ボールを拾って速度が落ちるのはまだわかりやすいけれど、
一から三歩までの速度差は原理すら不明です。
これは劇場版テニスの王子様のうつのみやさんの走りも同じ。
共通するのはコマ送りだと限りなく見えにくくなる絶妙なタイミングの表現であるところ。

そう、実は極まった作画ほど等速でみないといかんのです!
画面に一番影響を及ぼすのはどんな絵をつないでいるかというより早い遅いの比率。
だから任意の速度で見れてしまうコマ送りは絵の印象に引きづられてタイミングを曲解させる。
一番最初には確か感じていたはずの画面のイメージをコマ送りで得られる理論が安心と引き換えに忘れさせてしまう。
先日もうコマ送りはしない宣言をしようかと思ったくらいです。

僕は脳内HD容量が少ないため圧縮しなければデータを持っていられない。
メモリも少ないので外部記憶に小出しにデータを定着させていかなければ物を作れない。
再現されるのはただ密度が高いだけのうまさとはかけ離れた歪なイメージ。それはダビングですらない。
もっとあやふやでとらえどころのない、とても圧縮せずにはもっていられないイメージを膨大に記憶し、
極大の作業スペース(メモリ)で外部記憶に頼ることなくリアルタイムでレンダリングしなければ、上のような作画はとても無理。
あるいは圧縮方法が間違ってるのか!?
まーなにがいいたいかというと、まずはスローモーションからなれていこうかと。

余談ですが、こういうのは、もっと早い段階でみておきたかった作画です。
自分で突き詰めて作画をする機会が増えるにつれ、この手の作画を見ると
模範解答ではなく、問題の製作者さえ用意していない凶悪なまでの正回答という言葉がぐるぐる回ります。
自分の中でそんなイメージが磯さんと田辺さんの作画に付きまとうようになっています。
「何、このタイミング。馬鹿な……えぇー、うそだろ?」とか言いながら同じカットを何度も何度も見る機会って最近まったくなかった。
こういう気持ちにさせてくれる作画は、きっとただ楽しいだけでなく、
自分を作り換えてくれる部分がありそうで非常に切実な気持ちになります。本当にそういう意味では久しぶりの充足感。

磯さんの芝居をじっくり見れるという意味では上位に来る作画なので(尺もあるし
見たことのない人はがんばってみてください(もらっただけのやつが言う不思議。